新・罪と罰



晩はHEROに会った。HEROというかヒロ?
どっちも正しい。

数多いる日本人俳優の中で、僕が中学時代からずーーーっと追いかけ続けているのは、たったの2名だけ。その内の一人、いしだ壱成さんの役者復帰作第1弾『新・罪と罰』を観るために、赤坂レッドシアターまで行ってきました。およそキャパ200人程度の劇場をフルに使用し、プロローグにて真っ暗な客席後方から現れた、上半身裸体の壱成が体を震わせながら、何かに取り憑かれたように舞台へと歩み、呪詛のような言葉を繰り返す。

「やるべきか! やらざるべきか!」

僕の席からわずか数センチ隣を、あの壱成が歩いている。その事実だけで全身が総毛立つ。彼が演じた主人公、松田隆がある人物を殺めてしまった後の、ジッポ・ライターの灯りを頼りに周囲を睥睨するあの姿と眼差しは、まさしくブラウン管の向こうで見続けてきた“天才俳優”いしだ壱成そのものだった。開きっぱなしの瞳孔、空気を震わせる呼吸、不協和音を奏でるピアノとストリングスのBGM。象徴的な深紅のドアに重なる華奢なシルエット。そして轟く悲痛な咆哮。午前中から飛散していた、すべての意識と神経がステージに集中するまでに、さほど時間は必要ではなかった。

1人の人間を殺す事で、100人の人間が助かるとする。はたして・・・それは罪なのか?
ドストエフスキーの『罪と罰』を題材に、劇団<PU-PU-JUICE>による新解釈で脚本が練り込まれた本作。全編シリアスな作風だと思っていたのだが、コミカルな配役によるコント的なシーンも多く、2時間強の長尺ながら緩急自在で、最後まで1秒たりとて息をつく暇などなかった。

「どうして人を殺しちゃいけないの?」

かつての「少年A」こと酒鬼薔薇聖斗が、純粋に世に問いかけた言葉だ。当時、平凡な大人たちやマスコミ連中は誰1人として明確な答えを提示できず、無知と醜態を大いに晒した。しかし、その解答とは至極シンプルで、誰しもが納得できる言葉だったのだ。それを、こんなブログやSNSに書くような野暮なことをするつもりは毛頭ない。

演ずる者の“生”の演技と、“生”の声。ドラマのように気安く消費されるわけでもなければ、映画のようにアーカイヴ化されるわけでもない。目の前で言葉と感情が矢継ぎ早に発露され、“今、この瞬間だけの”物語が積み上げられていく快感は、何事にも代え難いものだった。それにしても、メインの壱成さんや恋人役の村島刑事こと富樫真さんは言わずもがな、キャスト全員キャラ濃すぎ(笑)。今回、席を確保して頂いた名探偵「影山右京」役の大迫一平さんなんて、ホントに探偵マンガから飛び出して来たかのような掴みどころの無さや、飄々とした立ち振る舞いが見事なまでにハマっていた(クドカンをイケメンにした感じ?)。神父やホステスに子役の演技も素晴らしかったし、おつゆ吹き出しまくりの吉川先生こと、中野マサアキさんが最高。そして、確かに第一発見者の池田ちゃん(高田由香さん)は、事情聴取中にナンパしたくなるぐらい可愛かったのは否めない。

フィナーレを迎えた後は、賑やかなBGMに乗ってオール・キャスト登壇。千秋楽ということもあってか、最後の1人になるまで真摯に観客席を見つめ、丁寧なお辞儀を幾度も繰り返した壱成さん。「おかえりなさい」としか言えないぜ。草なぎ君のカムバックなんか、もはやどうでもよくなったぜ。閉場時に舞台から降りて来た壱成さんとガッチリ握手を交わし、女性の取り巻きばかりの中で恥ずかしながら、一緒に写真も撮ってもらった。もちろん、こんなところには公開しません(自分が不細工すぎて自粛という部分もありますが)。いやー、人生初舞台が壱成さんで良かった! これはドラマ『未成年』を、未成年の時に観られたという誇りと匹敵するレベル。それにしても、「舞台」もやばいな。ただ、すでにライヴや映画に散財しまくりの僕が、舞台にまでハマってしまったら確実に破産&孤立するので、ほどほどにしておこう・・・。

『なんだか妙にハイな気分さ。昨日ぐっすり寝たせいだろう。腹一杯に食ったら一緒に少し走ろうぜ。寄り道したって構わないだろ。』

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